AIと創薬 ― 流行語の向こう側で、いま本当に問われていること


0. はじめに:なぜ、いま「AIと創薬」を語るのか

AI創薬という言葉を、最近どこに行っても耳にするようになった。
製薬業界、スタートアップ、投資の世界、そしてメディアに至るまで、この言葉は驚くほど速いスピードで浸透している。

一方で、創薬の現場に長く身を置いてきた人ほど、どこか言葉にしづらい違和感を抱いているのではないだろうか。
AIは本当に創薬を変えているのか。
それとも、我々の期待が、技術の実像を上回っているのか。

本稿は、AI創薬を否定するためのものではない。
むしろその可能性を真剣に考えるために、いま一度、創薬という営みの本質から問い直すことを目的としている。


1. 「AI創薬」という言葉が持つ、強すぎる磁力

AI創薬という言葉は、それ自体が非常に強い磁力を持っている。
「AI」「創薬」「革新」——これらの言葉が組み合わさることで、未来がすでに実現しているかのような印象を与える。

問題は、この言葉が誰かの悪意によって使われているわけではない点にある。
スタートアップにとっては説明しやすく、投資家にとっては理解しやすく、大企業にとっては将来性を語りやすい。
結果として、言葉が先に流通し、技術や成果の定義が後回しになる構造が生まれる。

これは創薬に限らず、技術革新の初期段階で繰り返されてきた現象でもある。


2. 生成AIはなぜ「もっともらしい答え」を出せるのか

生成AIは、膨大なデータからパターンを抽出し、それを再構成する能力に長けている。
その結果として、人間にとって非常に「それっぽい」文章や仮説を提示できる。

しかし、創薬の現場では、この「それっぽさ」が時に危うさを伴う。
創薬において価値を持つのは、平均的な解ではなく、例外的な成功であることがほとんどだからだ。

生成AIは過去の蓄積から「平均解」を出すことには優れている。
一方で、その平均から外れた現象——つまり本当のブレークスルー——を見抜く能力は、まだ人間に委ねられている。


3. 良質な創薬データとは何か:数ではなく、文脈である

創薬の議論では、しばしば「データ量」が強調される。
しかし、データが多いことと、使えるデータがあることは同義ではない。

創薬データの多くは、成功例に偏っている。
なぜその実験系を選んだのか、なぜ失敗したのか、なぜその結果を捨てたのか。
こうした文脈情報は、論文やデータベースにはほとんど残らない。

AIが学習できるのは、形式化された結果であって、判断に至る思考の軌跡ではない。


4. 創薬の目利きと、マグロの目利き

良いマグロは、数字だけでは選べない。
水揚げ量や価格、産地といった情報は参考にはなるが、それだけでは不十分だ。

実際に目利きが見るのは、色、張り、脂の入り方、そして微妙な違和感である。
言葉にしにくいが、「何かがおかしい」「これは違う」という感覚が、最終的な判断を左右する。

創薬もまったく同じだ。
化合物の物性値、活性データ、構造情報は重要だが、それだけで成功は決まらない。
「このデータはきれいすぎる」「この結果は再現性が怪しい」
そうした違和感は、経験を積んだ人間にしか感じ取れない。

AIは数値を処理できるが、違和感を感じることはできない。


5. AIが苦手な創薬の意思決定

創薬は、探索のプロセスであると同時に、意思決定の連続でもある。
GoかNo-Goか。
次に進むのか、ここで止めるのか。

この判断には、科学的データだけでなく、時間、資金、組織、規制といった要素が複雑に絡み合う。
これらを総合して「決める」行為は、いまだAIに代替できない。


6. それでもAIは創薬に不可欠である

ここまで述べてきたことは、AI創薬を否定するものではない。
むしろ逆である。

AIは、探索空間を広げ、仮説を迅速に提示し、人間の思考を補助する強力な道具である。
問題は、AIに何を期待し、どこまでを人間が担うのか、その役割分担が整理されていない点にある。


7. AI以前に、我々は創薬をどこまで理解しているのか

AI創薬が難しいのではない。
創薬そのものが、もともと再現性の低い、属人的な知的労働なのだ。

AIの導入によって、むしろこの事実が浮き彫りになったとも言える。


8. 結び:問いとしてのAI創薬

AI創薬は、答えではない。
創薬をどう理解しているかを、我々自身に突きつける問いである。

良いマグロを見分ける目が、長年の経験と失敗によってしか育たないように、創薬の目利きもまた、アルゴリズムだけでは獲得できない。

もしAI創薬について語る前に、創薬そのものについて、もう一段深く対話できるのであれば。
その対話に、私はぜひ参加したいと思っている。

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